私がひきこもりになった日
皆さんは学校というものにどんな印象を持っているでしょうか?
勉強するところ、友達と会う場所、行けと言われるからなんとなく行くところ。皆さんそれぞれイメージはあると思います。ですがこのページを読んでくださっている貴方は、「楽しい」といった感想は抱かないのではないでしょうか?
私は端的に言うと“地獄”でした。
この後に書いていくことは皆さんにとって辛いことかもしれませんし、逆に「自分の方がつらい」と思われるかもしれません。ただ私の経験を通してご自分と向きあったり、得るものがあったりするのであれば嬉しく思います。
いつからだったでしょうか、きっかけは私にもわかりませんが小学校高学年の辺りから私はいじめられていました。内向的な性格…というのもあったかもしれません。ですが私が標的になった理由というのは正直なかったのでしょう。本当ならばいじめが始まったころに自分の意思を示しておけばよかったのでしょう。しかし争いごとが好きではなかった私は、愛想笑いをしながらなぁなぁで済ましていました。
いじめっ子(おそらくいじめている自覚がない)にとって何をしても反撃してこない私は、格好のおもちゃだったのだと思います。最初は悪口から始まり時が流れるにつれ、それはより暴力的になっていったのです。
具体的に言えば靴や体操着を隠されるなんて日常茶飯事、休み時間は足首をつかまれて廊下を引きずり回されたり、校庭に出れば砂をかけられ続け服の中に直接土を流し込まれることも多々ありました。また実際にケガを負うことはありませんでしたが、上履きの中や椅子の上に敷く防災頭巾に画鋲を仕込まれたこともあります。
しかしまだ小学校の頃は幸せだったのだと思います。クラスの中でいじめっ子は少数派でした。
先生は私を守ってくれましたし、クラスメイトもいじめっ子を疎んでいました。
そんなこともあり辛い場所ではありましたが小学校はひきこもりになることはなく卒業することはできました。しかしいじめが次のステップに進むとは私は思いもしていませんでした。
小学校卒業後両親が離婚し、私は母方の実家へ引っ越すこととなりました。小学校でいじめられていたこともあり、人間関係をリセットできると思い緊張しながらも楽しい学校生活にあこがれていたところはあったのでしょう。しかしその希望は打ち砕かれることになったのです。
私が進学した中学校は小中一貫校でした。その学校では中学一年生のことを“7年生”と呼んでいました。その名が示す通り進学というかは進級という感覚であったらしく、グループというものが既に出来上がっていました。
実質転校という形になった私は、小学校の経験で委縮していたのもあり、あっという間に孤立していきました。
そんな私に声をかけてくれたグループが二つありました。
“小等部でいじめられていたグループ”(以下友達)そして“問題児グループ”(以下問題児)でした。
上記グループと私は友達になることができたのですが、引っ越し前の話や一貫校のことについて話すうちにある名前が挙がりました
「〇〇には気をつけろ」
それから間もなく問題児達が私たちのところへやってきました。一緒に話していた友達は蜘蛛の子を散らすように逃げ、私は問題児達に囲まれ話をすることとなりました。
彼らは分かりやすい不良でした。物語に出てくる舎弟を連れたワルというイメージを抱いてもらえれば相違ありません。
私は小学校からの愛想笑い等を交えた会話で、彼らに同調しながら話していました。結果私は問題児グループに気に入られることとなりました。
小学生の時から彼らは悪い意味で有名だったようで、話せる相手があまりいなかったのでしょう、私は良く話しかけられました。そしてグループでの立ち位置が決まったあたりでした。
彼らが本性を現したのです
私は友達になりたいのだと思っていました、しかし実際は彼らの力を示すための道具として使われることとなったのです。
彼らのトップに君臨するもの、それが〇〇でした。
彼らは自分の存在を示すために見せしめを行っていました。いじめを他の人に見せつけることで恐怖政治のようなことをするようになりました。
〇〇が出席する授業は授業の体をなしていませんでした。〇〇は授業を妨害し、先生に暴言を吐き、勉学の場を破壊しました。コンプライアンスが重視され始めた時代であったため先生は言葉で注意することしかできず、〇〇は増長していったのです。
多数の先生が職を離れていきました、それは子供の目から見ても異様な光景でした。
奴は教室で堂々と煙草を吸い、女の子に対してセクハラを繰り返していました。普通であればそんな暴君は孤立するでしょう。それを防ぐためか奴は見せしめを始めました。
私は“友達同士の遊び”という体でいじめられました。「友達だよな」と何度も言われたことが印象に残っています。
私は直接的な暴力や辱めを主に受けることとなりました。よく襟をつかまれ床にたたきつけられたりバックドロップをされたり、制服を剥かれたのち校内を引きずり回されたりしました。そして最後に決まって襟首をつかみ上げ「チクったらお前わかってんだろうな」そう言い解放されるということを毎日のように繰り返すこととなりました。
しかし私が一番苦しかったのはいじめそのものではありませんでした。周囲の目線です。
クラスメイトや先生は私のことを憐れみました。しかし彼らは私を生贄として〇〇に献上することを選びました。私をいじめると〇〇はしばらくおとなしくなりました。
授業妨害や自分がいじめられるのが怖い先生、生徒、共に見て見ぬふりをしたのです。
相談など許されなかった私は助けてくれることを期待して他人の目線があるところでいじめられるように立ち回っていました。
でも誰も助けてはくれませんでした、先生すら目をそらしました。その日から私は学校の平穏のための生贄として地獄の生活が始まったのです。
何のために学校に行くのかわかりませんでした。勉強などできる状況ではありませんでした。
休み時間も体育祭も文化祭も修学旅行も全て〇〇が付いてきました。振り払っても振り払ってもついてきました。そしていじめたことを誇らしそうに女の子に言うのです。
体の傷は時間が経てば治りました。しかし辱めと救いなどないという現実が毎日毎日私の心を削り取っていったのです。
そして中学3年生、学校が言う9年生のクラス替えの日、私は愕然としそして学校の意図を察しました。いじめっ子といじめられっ子、そして成績が悪かった子。それらをまとめたようなクラスに私は配置されました。思い込みなのかもしれません。しかし何年もたった今思い返しても考えが変わらないほどに、いわゆる問題児と普通の生徒でクラスを分けたとしか考えられない生徒の配置でした。いじめっ子オールスターズと同じクラスにされた私は熾烈ないじめを受けることとなり、学校というものに対して猛烈な憎しみを抱えるようになったのです。
「こんな学校なくなってしまえばいい」本気で思いました。テロリストが来ればいい、授業中に飛び降り自殺してやろうか、ガソリンかぶって焼身自殺してやろうか等、おおよそ健全な中学生が考えることとはかけ離れているのであろう思考に支配されていきました。
その時、私にとって学校というものが“自ら苦しみに行くだけの場所”に変わりました。
登校すれば授業以外は〇〇から逃れるため人の目につかない場所で隠れ続け、黒板を板書していたノートは呪いの言葉を綴る本となり、私は生ける屍のように「その日」まで生活することとなったのです。
秋の終わりであったと思います。その日は中間テストの返却日でした。
学校という物が地獄となっていた私は勉強に意味を全く見いだせずにおり、文字にするのも恥ずかしいですが確か0点を取ったと思います。自業自得といえばそうかもしれませんが、受け取ったときはまぁ、ショックを受けました。しかしそれで終わりではありませんでした。
それまで私がいじめられているときに仲介してくれていたある子が私の解答用紙を奪い取りました。そしてそのテスト用紙を天に掲げ大声で「0点取ってる!!!」と廊下を駆け始めました。衝撃でした。味方だと思っていた彼が私のことを見世物にしたのです。
みんなが「やめなよ」と小笑いしながら止めてくれました。冗談めかしていたのかもしれません、でも私にとって本当の意味で味方が消え去った瞬間でした。
私はその日初めて校則?を破りました。掲げられた0点のテストを奪い取り、涙を堪えながら昇降口へ向かいそのまま帰りました。
そして帰宅して親に「もう学校行きたくない」と告げて部屋から出られなくなりました。
親にとっても衝撃だったでしょう、だって学校での現状を伝えていなかったのですから。
その日は一晩中泣きました。声を殺して泣きました。悲しみ、怒り、恨み…考えられるすべての負の感情が私の中を駆け巡りました。
学校に行かなくなった当初はまだ親とは話していました、そんな親は学校でのことを何も知りませんでした。慰めてくれましたが、それは遅すぎました。慰められることで何故か悲しみが高まり続け、ある日私はドアの前に家具を重ねバリケードを築き、親との会話も絶ち、長いひきこもりの生活が始まったのです。
最後に
こんな重苦しい文章をここまでお読みいただきありがとうございます。私がひきこもりになるまでの経緯は以上になります。皆さんはこの文章を読むことで得るものがありましたか?
当時はその日を過ごすのに全力でどうすれば改善するのか考えられませんでした。しかしこうやって文字に起こしてみると気づくことがたくさんあります。本当であればこの文章は誰にも読まれないのが好ましいです。しかしここまで読んでくださった方がいるということはまだ私のような思いをしている方がいるということだと思います。
私にとっては忘れたい過去です。〇〇とその取り巻き、そして黙殺した学校。今でも全く許すことはできません。
しかし今こうして皆さんに向けて言葉を紡げるのは紛れもなく過去の経験のおかげです。
言い方は悪いかもしれませんが、過去の地獄が時間を経てお金を生み出すようになりました。
こんな経験はしない方がいいのは絶対だとは思います。しかしこんな経験をしたからこそできることもあったりします。“今”というのはとてもつらいと思います。死にたくなると思います。でも耐えたその先に得るものがあります。
宝石や鉱石は汚い土や硬い石の中から見つかります。今後も経験談やひきこもりのことについてお話していくつもりでありますので、ぜひあなたの中にある宝石や鉱石を見つける道具にしていただければ子供の頃の私も救われます。
もし自分だけで見つけることが出来なければ、いろいろな相談先を用意していますので、気が向いたときに相談してみてもいいかもしれませんね。
では長くなりましたがここまで読んでくださってありがとうございました。縁があればまたお会いしましょう!