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経験専門家の成長日誌「あしあと」#23「離れる時間」

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経験専門家の「あしあと」~墨田区ひきこもりコラム#23「離れる時間」

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目次
1.親子の距離感
2.母の旅行
3.別の人生
4.まとめ(次回予告も兼ねて)

 

〇親子の距離感

今回のコラムは、親子問題第二弾。
わたしを題材に、改めて「ひきこもりと親子」のテーマについて、考え直してみたいと思います。

前回のコラムを読んだ方のなかには、もしかしたらわたしと母がとても良い関係のように感じた方もいるかもしれません。
…子の好きなものを認め、一緒に体験を共有して、安らげる時間を守っていく。
…ひきこもりの本人がリビングでも安心して居られるようにする。

こうして書くと、なにか理想的な響きすらしてきます。
先月書いたように、とても助けられたのはその通りです。
実際、仲は良かったと思います。



しかし、実際にはそう簡単ではありませんでした。
母との関係は、必ずしもいいことばかりではなく、言葉にまとめてしまうと零れ落ちてしまうような難しい一場面が、たくさんあったのです。

特に、ひきこもり渦中は、むしろ険悪ムードの方が多かったかもしれません(そういったご家庭も多いのではないでしょうか)。 
ほんとうに、お互い削り合いながら、ギリギリの攻防の末に落ち着いたのが、前回書いたような関係だったのでした。

ここにあるキーワードは二つ。
「癒着」と「離れること」。
わたしだけではありません。ひきこもりという現象全体に関わる言葉です。
今回は、特に「離れること」に焦点を当てて、当時のことをお話ししたいと思います。 



〇母の旅行

癒着と、離れること。
こうして書くくらいだから、お分かりですよね。
当時のわたしたちは、癒着していたと思います。
距離が近すぎる。過保護。
ひきこもり時でいえば、一緒になって沈んでしまうような距離感(もちろん、全く沈まないのは逆に無理だとも思いますが…)。

逆に、長く別居していた父とは、抑圧的な関係にありました。
家族全体に、「歪み」があるような形です。



これは、わたしだけでなく、ひきこもり当事者、その家族に多く見られる関係性でもあります。
厳しく抑圧される場合もあれば、何でも保護的になり、自身で決め動いていく自発性が奪われてしまう場合もあれば……スクリーンショット 2025-07-29 142622家族心理.png
形はそれぞれですが、共通して言えるのは、「距離感」の問題が、それによる家族のひずみが、子どもに集約されて影響を与えてしまうということ。

…わたしの場合は、ひきこもりの時期にそこから少しずつ離れていきました。
それが一番強く印象付けられた出来事が、「母の旅行」でした。



母はもともと旅行好きで、また出かけたいとずっと言っていました。
しかし、何年もしていなかった。
コロナ禍で難しくなったというのももちろんありますが、なにより大きかったのは、「私がひきこもって家にいる」ことでした。

行けばいいのに、と当時の自分は思っていました。
わたし自身、ほとんど食事を摂れないような時期もあったので、心配に思う気持ちも当然だと思います。
しかし、そこで「心配だから」と言われ、行きたいのに行かない母と一緒にいることは、どうにも嫌な感覚があったのです。
「自分のせいなのか…」と。
本当はそうではないのに。

母が実際に旅行に出たのは、ひきこもりから3年が経った頃でしょうか。
動き始めた自分を見て、もう大丈夫だ、と思ったのでしょうか。
恐る恐る、という感じですが、旅立っていきました。

その後の一年は、わたしと母が大きく変化を遂げる一年でした。



〇「別の人生」

もちろん、母が旅行に行った事が直接的に効果をもたらした、すべてをうまく回していった、ということではありません。
ただ、あれは「象徴」だったような気がするのです。

…母もわたしも、動き出していったこと。
…支え/支えられる距離から離れ、ちょうどいい距離感を作り始めていったこと。
ひきこもりや母の落ち込みから脱すること。
それら頑張りの時期を端的に表すものが、「旅行」でした。



旅行の時期以来。
わたしは、その後一年で親友とも再会できるようになり、資格を得るための実習にも一か月以上参加でき、ひとりで遠出して街歩きを楽しめるようになりました。
最後には友人と旅行にも行けるようになりました。そして、働き始めました。
いまでは新たにコミュニティや友人関係も広げていっています。海外にも行ってみたり、当時では想像もできないような、ありえないような行動を出来るようになりました。

一方の母も、その後は当たり前のように旅行に出かけるようになりました。自分から新しいコミュニティ(スポーツ等)を探して行くようになり、見るからに元気にもなりました。
いつの間にいなくなったと思ったらふらっと日帰り旅をしていたりもしていました。
わたしへのかかわり方も変わり、どこか、良い意味で「突っぱねる」 「線を引く」場面も増えてきたように思います。

それはもう、楽になりました。
自分の実感として、あの頃から肩の荷が下りたような感じがあります。
母の楽しそうに話す様子が増えましたし、自分の罪悪感も減っていったように思います。



ここで大事なことを一つ。
相手のことを思って、心配で、離れられない。保護する。
それは、わたし(当事者)だけでなく、母(家族)の力も奪っていく、ということです。
知識としてだけでなく、わたしの実感としてもそう思います。
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なんというか、お互いに枷にはめられてしまうのです。
知らず知らずのうちに、その関係性の網の中に閉じ込められ、じわじわとエネルギーを吸い取られていくかのような。
それでは、お互いにつらいと思います。



そしてもうひとつ。
今回書いたことは旅行ですが、旅行に限りません。旅行が大事!と言いたいわけでもありません。
大事なのは、ひきこもっている本人と親とは、別の人生を生きる別人なんだということ。
子どもとは無関係に、自分のしたいことをする時間を少しでも持ち、身も心も「離れる」からこそ、自分の人生を生きるからこそ、かえって自分も相手も楽になっていく、ということです。



〇まとめ(次回予告も兼ねて)

今回は「離れる」ことの意味について改めて考えてみました。
わたしは心配をかけた側でもあるので、母や他の家族からしたら違った見方もあるかもしれません。
しかし、「経験専門家の私」の視点から見たあの時期のことを書くなら、こうなるかなという感じです。

もし現在も苦しんでいる親御さんがいらっしゃったら、ぜひ一度立ち止まって、考えてみてほしいと思います。
子どもとの距離感はどうか。
子どもに合わせ、支えているようでいて、親自身がその関係の網のなかに絡めとられ、動けなくなってはいないか。
身体も頭も「離れる時間」はあるか。

…思い出したことがありました。
今回は旅行でしたが、もう一つ、大事な「離れる」話がありました。
すなわち、「台所」の話。
次回は、その話をしつつ、更に「親子」について掘り下げていきたいと思います。

長くなりましたね。
今回も読んでいただき、ありがとうございました。それでは。



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